ちせ本の記録
私の好きな本を集め感想を書いていきます。
「ブラッドライン」 黒澤伊織
ブラッドラインと言われる国境線で、1人のアメリカ人歌手が死んだ。戦争に反対し、愛と平和のメッセージを世界に訴えてきた大スター。彼の死をめぐり、自らの人生を省みる世界中の人々。それでも戦争はやまない。


 小説の原石

 小説の投稿サイトから生まれたという作品。大変興味を持って読ませて頂きました。
 「ブラッドライン」とは、アラルスタン共和国とラザン独立国という砂漠に位置する国々の国境線です。作者の生んだ架空の国々ですが、舞台は今私たちが生きるこの地球であり、他に登場する国々はすべて実在することから、このような国が実際に存在したとしても不思議ではない、と思わせられます。あるいは、実存する国の名前を変えただけのことかもしれません。
 そのブラッドラインで、Mという1人のアメリカ人男性が射殺されました。彼は歌手として世界的に有名なスターであり、スターとして常に愛と平和のメッセージを世界中に投げかけ、自らも戦地に赴いて戦争に反対する、影響力の強いスターでした。
 そんな彼が死んだ。世界中の人々が、彼の死を様々な思いで受け止めます。彼にサッカーボールをもらったことのあるアラルスタンの少年。彼の死を戦争に利用しようとするアメリカ合衆国大統領。彼のファンで、お金持ちでわがままなロシアの少女。アラルスタン最大のテロ組織ヤウームのナンバー2と、ヤウームにとらえられたアメリカ人兵士。イギリス人でありながら、祖先の祖国へと帰ったラザンの女性。日本の、独身の中年サラリーマン。そして、Mの元妻。
 Mをめぐる彼らの物語は、あっさりと簡単にまとめられ、死の真相は、最後にM自身の遺言として明らかにされます。
 残るのは、結局戦争はなくならないという思いです。それは人類の持って生まれた性なのかもしれません。人が誰かを愛する限り、そこに憎しみの火種も生まれます。M自身そのことを知っていて、愛と平和を訴えてきたのです。
 「Mの死」―それが人々の心に大きな影響を与え、その人自身の人生を変えることにはなっても、世界は変わらない。そんなメッセージが伝わります。
 テーマの重さに比べ、文体は非常に読みやすく、作品自体はあっさりとまとめられている感があります。その読みやすさは、好き嫌いが分かれるところではないかと推測します。読みやすいことは、読者の裾野を広げることになると思いますし、もしかすると小説投稿サイトではそれが良かったのかもしれません。また、簡潔な文体がより作品の重さを伝えるということもあり、私はヘミングウェイの作品などでよくそれを感じます。
 しかし、私の個人的な好みとしては、これはもっと深く掘り下げて書かれた方が面白かったと感じています。Mの死をめぐる人々の人生が、時に作品のテーマから外れることがあっても、それにもどかしさや退屈を感じることがあっても、その方が読み切った時のメッセージはより重く心にのしかかっただろうと思うのです。
 「私の好きな本」になる前の原石を見てしまったような印象です。それだからこそ、この作家のことを覚えていて、また出会えることがあるといいと思っています。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村


にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 純文学へ
にほんブログ村


スポンサーサイト

テーマ:読書感想 - ジャンル:本・雑誌

「悪童日記」 クリストフ
戦時中おばあちゃんの家で疎開する双子の兄弟。飢えと寒さをしのぐため、強く、残酷で、狡猾に大人たちの間を立ち回り、育っていく「ぼくら」。そんな子たちは、いずれどんな大人になるのでしょうか。


 「ぼくら」の行く末

 舞台はおそらく、第二次世界大戦下のハンガリー。作者はあえて物語の時代と場所を明らかにはしていませんが、それで間違いないことは「訳注」に記されています。戦争により激しくなる爆撃を避けて、おばあちゃんの家に疎開をさせられた双子の男の子たち。おばあちゃんは貧しく、学もなく、不潔で、近所の人から〈魔女〉と呼ばれています。生きるために労働を強い、「ぼくら」をぶつこともあります。体を洗い、学校に通わせてくれて「私の愛しい子」と呼んでくれたおかあさんから離れて、「ぼくら」はこのおばあちゃんと共に生きていくしかありません。
 しかし、これがかわいそうな少年の物語かと言えばそうではありません。「ぼくら」が涙をあふれさせたのは最初だけ。「ぼくら」はこの難局を乗り越えるために、ひもじさや寒さから逃れ、ただ生きていくために、実に強く、賢く、ずるく、冷酷に、大人たちの間を立ち回っていくのです。それはある意味おそろしく、残酷な物語でした。
 これは「ぼくら」が書いた秘密のノートで、「ぼくら」の私小説の形をとっています。「ぼくら」はそのノートに、真実しか書いてはならないというルールを与えました。「ぼくらが見たこと、聞いたこと、実行したこと、でなければならない。」というルール。
 そのため、物語からは人々の心情が排除されることになりました。おばあちゃんが「ぼくら」のことを本当はどう思っているのか、「ぼくら」はどういう感情で人を助けたり、盗んだり、人を殺したりしたのか、は一切書かれていないのです。読者はそれを、「ぼくら」が見たものを通して推測し、把握していくしかありません。
 ひもじく、常に死の恐怖にさらされている戦時下。おばあちゃんの家のあちこちに穴を開け、大人たちの行動を盗み見し、強引に手に入れた紙と鉛筆を使って勉強をする「ぼくら」。いじめっ子を助け、脱走兵に食料と毛布を恵み、ユダヤ人の靴屋さんに靴をもらう「ぼくら」。盗み、ゆすり、人を殺す「ぼくら」。「ぼくら」を責める資格はどんな大人にもありません。そこは、子どもたちがこんな風に生きていくしかない、残酷な戦時中の世界なのです。
 「ぼくら」がおかあさんよりおばあちゃんを選んだときは、悲しいと同時にうれしくもありました。こんな世界を選んでしまうしかない現実の悲しさと、こんな世界での生活にも幸せを感じているということを知ったうれしさと。
 こんな少年時代を過ごした子どもは、どんな大人になっていくのでしょうか。それは続編で明らかにされるようですが、今はこのままにしておきたいと思います。謎は謎のまま、もうしばらく想像をめぐらせてみたい、そう感じています。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村


にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 純文学へ
にほんブログ村


テーマ:読書感想 - ジャンル:本・雑誌

「流れる」 幸田文
住み込みの女中である梨花の目を通して描かれる芸者たちの世界。はかなく浮き沈みの激しいその人生を、ぞんざいで愛情ある口調で語りながら、いつのまにか梨花自身の生き様が見え隠れします。


 芸妓と女中の人生が流れる

 40歳を過ぎた未亡人の梨花。彼女が住み込みの女中として働き始めたのは、花街の芸者家でした。物語は、梨花が初めてその汚い玄関を入るところから始まります。そして、「しろうと」の梨花が女中の目で見た「くろうと」の世界の悲喜こもごもが、梨花の目線で語られます。
 どうやらこの芸者家はすでに傾き始めていて、働く芸者は次々と辞めているようだし、変な親爺にゆすられてもいる様子。おまけに税金まで滞納しています。家族関係が複雑なのは、「くろうと」の世界の宿命でもあるのでしょうか。梨花は鋭い勘と察しの良さで、それらをつぶさに感じ取っていきます。
 語り口はぞんざいでありながら、瀕死の犬や病気の少女への思いから、梨花が本当はやさしく、愛情を注げる人であることが伝わります。そしていつのまにか「くろうと」たちも、彼女を女中として当たり前にこきつかいながらも、ふと悩みや本音を彼女にもらしたりするようになります。主人の娘の勝代は、不器量で芸妓にはなれない微妙な立場と、母への複雑な思いをもらし、年増の芸妓の染香は、男においていかれたことを打ち明け、梨花にお酒を飲ませてもらいます。
 誰もが思わず梨花に本音を語ってしまうのは、彼女が「しろうと」であり、第三者であるからでもあるでしょう。しかしそれだけではなく、なぜか彼女が信頼に足る人であること、話を聞いてくれる人であることを、彼女たちが知らず知らずのうちに察したからでもあるように思えます。
 梨花は自らについては多くを語りません。ここへ来るまでの履歴書のような職歴については最初に語りますが、それ以前の、夫や娘と暮らしていた頃の様子についてはよくわからないままです。ただわかるのは、今は頼れる家族はいないということだけです。
しかし、彼女の鋭い観察眼や、聞き上手なところや、余計なことは黙っている賢さや、人を思いやれる心などから、実に多くの幸不幸を経験してきた人生であることが想像できます。
 梨花が語る芸妓たちのはかなく、浮き沈みの激しい生活。その人生を思いやる一方で、私は梨花自身の人生を思わざるを得ませんでした。これからも強くそつなく、今までの悩み苦しみを生かして生きていけるよう。


にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村


にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 純文学へ
にほんブログ村


テーマ:読書感想 - ジャンル:本・雑誌

「破船」 吉村昭
著者 : 吉村昭
新潮社
発売日 : 1985-03-27
村人たちがひたすら待つものは、座礁する船「御船様」。積み荷を奪い、村が潤うように。本当に貧しいとき、人は残酷になれるのです。ただ生きるため、懸命に生きる姿と愛情に、静かに胸を打たれます。


 今年も御船様が来てくれますように。

 本当の貧しさというものを、私はいつのまにかかけちがえていたのかもしれません。本当に貧しいということは、ただ生きるために食物を得ることが生活の全て。そのためには、娘や一家の戸主までも売らねばならないという悲惨な実情。女も子どももひたすら働く毎日。
 伊作の父も売られました。体が大きく力があるので高く売れ、3年の年季奉公に出ることになりました。自分も父のようになりたいと願う伊作は、わずか9歳で一家の長として、母を支え、弟と妹を飢えさせないために働きます。母の冷たい厳しさは、父のいない家庭で生き抜かなければならないという、家族への愛情の証でもあります。そして、それを伊作はわずか9歳にして理解しています。そんな家族の姿に、何とかして生きて全員で父の帰りを迎えてほしい、という思いが募ります。
 村おさを頂点として治められるこの村は平和です。おそらくそれは、誰もが等しく貧しいから。皆が助け合って生きていくより方法がないから。だからこそ村おさは、「御船様」がもたらす宝も、村人たちに平等に分け与えます。
 彼らの貧しさを救うのは、いつやってくるかもわからない座礁した船でした。海が荒れる季節になると、彼らは「御船様」の到来を願う行事を行い、塩を焼いて船を浜に招きよせようとします。座礁した船に残された大量の積み荷を奪い、分け合うことで、貧しさから逃れられるように。それは、海が彼らにあたえてくれる最大の恵み。
 作者はこうした村の様子を、残酷だと責めるわけではなく、かといって同情を寄せるわけでもなく、淡々と描きます。どういう感情を抱くかはすべて読者にまかせる、作者独特の手法です。
 最初はあまりの残酷さに複雑な思いを抱いていた私でしたが、村人たちの生活を知ることによって、徐々に気持ちは変わっていきました。御船様が到来し、神仏の恵みだと泣いて喜ぶ村人たちの姿を見ると、来年もまた来てくれるといいという気持ちになりました。彼らが家族を売らなくてもすむように。家族思いで責任感の強い伊作が、父と再会し、好きな娘と結ばれるように。この平和な村の暮らしが乱されることのないように。
 しかし、御船様はこの村に災厄をももたらしました。翌年浜にやってきた船が村に持ち込んだもの。
 それは本当に悲しい結末でした。しかしそれさえも受け入れなければならないのが、この村の貧しさです。村を出ては誰も生きていくことのできない時代です。でも伊作はきっと、この不幸を乗り越えて強く生きていくことができるでしょう。
 「かれは、櫓をとると船を浜の方向に進めていった」―それを感じさせてくれるラストの一文です。


にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村


にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 純文学へ
にほんブログ村


テーマ:読書感想 - ジャンル:本・雑誌

「ベラミ」 モーパッサン
KADOKAWA / 角川書店
発売日 : 2013-04-25
「ベラミ(麗しの君)」。美人で知性もある女性たちが、なぜこんな男を愛してしまうのか。腹立たしくて仕方がありませんが、私もあなたに負けた。あっぱれ、ジョルジュ・デュロワ。


 あっぱれ、脱帽

 「ベラミ(麗しのきみ)」とは、主人公ジョルジュ・デュロワの恋人ド・マレル夫人の娘ロリーヌが、ジョルジュに呼びかけた言葉。それをきっかけに女たちからしょっちゅう「ベラミ」と呼ばれるようになって、いい気になって、まったくこの鼻持ちならない男は。見た目がいいから女にもてるだけのことでしょう。
 しかし実はこの男、男性の読者からすると好感が持てるのかもしれません。美人で頭が良くて、お高く留まっている美女たちを、バッタバッタとなぎ倒していく様は。
 物語の始めは夕食ぬきで、ビールも飲めない生活をせざるを得なかった美男の元軽騎兵は、軍隊時代の友人で、今は新聞記者として〈ラ・ヴィ・フランセーズ〉で働くフォレスチエに偶然道端で出会ったときから、その運命が変わっていきます。そのときはまだ、娼婦しか相手にできなかった男。それがまずはフォレスチエ夫人の友人であるクロチルド・ド・マレル夫人を恋人にして社交界とつながり、やがてはマドレーヌ・フォレスチエ夫人と結ばれ、〈ラ・ヴィ・フランセーズ〉の社長夫人であるヴァルテール夫人までものにし、そしてついには…。
 フォレスチエの口利きで〈ラ・ヴィ・フランセーズ〉に入り、女たちの力もあって記者としても頭角を現してゆくジョルジュ。私は最初、美人で知的な女性たちがこんな男にひっかかるのがどうしても納得いかず、きっと最後には女たちにぎゃふんと言わされて終わるのだ、と考え、そのどんでん返しを楽しみに読んできました。
 彼が書いた新聞記事が、どういうわけか他社に難癖をつけられ、よその記者と決闘騒ぎになったときも、それに脅える情けなさっぷりが「ざまあみろ」と小気味よく、これを機にまた転落の人生に舞い戻るに違いない、と思っていたのですが。
 考えてみれば、読者にはあの決闘のときのジョルジュの狼狽ぶりは十分に伝わってきたものの、あの場にいた人間にはまったく伝わらなかったようなのです。つまり、彼は非常に如才なくあの騒ぎを乗り切ったのです。パッと見には、なぜかかっこよく。そしてそれを機に彼自身も自信がついてきたようで、女を落とす様もだんだん見事になってきます。
 40歳を超えるまで、夫以外の男を知らなかったヴァルテール夫人や、まだ幼いほどに若いシュザンヌはともかく、マドレーヌよ、クロチルドよ、男を知り尽くしているはずのあなたたちまでがなぜ。裏切りのたびに怒り、嘆き、二度と戻ってはくるまいと期待させつつ、なぜまた愛してしまうのか、クロチルド。あなたたちに愛されて、ジョルジュはますます輝いていくではありませんか。
 物語では、一度だけですがジョルジュの年老いた両親も登場します。ジョルジュが妻となったマドレーヌと共に里帰りをするシーンです。田舎で、本当のど田舎で小料理屋を営む両親。パリから来た、洗練された美しい嫁に驚き、好感を持つ父親と敵意を抱く母親。ジョルジュの住むパリの社交界とはかけ離れた生活に、ジョルジュはここを原点としてのし上がってきたのだ、という感慨を抱かせられます。
 それでも私はまだジョルジュの負けをあきらめてはいませんでした。最後の最後まで、あきらめてはいませんでした。
 しかしラスト。若い大金持ちの妻との結婚式で、妻の腕をとって歩く彼の前に、やさしく手をさしのべるド・マレル夫人。またか。また帰って来てしまったのか。クロチルド。まるで映画のワンシーンのように、世界が一瞬止まる気がしました。これは脱帽するしかありません。あっぱれ、ジョルジュ・デュロワ。
 私もこんな男にだまされないようにしなければ。もちろん、彼から見て自分がだます値打もない女だとは重々承知ですよ。ですが、政治家とかにいるかもしれないではありませんか。こんなやつが。ジョルジュだって代議士に立候補するとか考えているし。投票してはいけませんよ。


にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村


にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 純文学へ
にほんブログ村


テーマ:読書感想 - ジャンル:本・雑誌