ちせ本の記録
私の好きな本を集め感想を書いていきます。
「琉球処分(上・下)」 大城立裕
沖縄旅行に先立って読んだ本。自分が琉球王国についていかに無知だったか、その事実に愕然としました。明治初期、琉球王国が日本に併合されるまでを描いた小説です。


 沖縄について語るために、読んでおくべき本です

 年末に初めての沖縄旅行を計画しています。それに先立って琉球王国について知っておきたく、この本を手にとりました。私は琉球王国のことを何も知りません。日本に沖縄県がある限り、琉球王国の歴史は日本の歴史であるにも関わらず、ヨーロッパや中国の歴史ほどにも知らないのです。
 この本は冒頭に「物語の背景」として、古い沖縄について無知な読者のために、簡単な琉球の歴史や社会制度についての説明があります。それが物語を読み進めるのに大変役に立ちました。そして、自身のその無知さ加減に愕然としました。
 14世紀半ばから明治の初めまで、500年にわたって存在した琉球王国。その貧しい小国は、生き延びるために隣の大国清に進貢し、薩摩藩の圧制に苦しみながら国を保ってきました。武器を持たない彼らは、ふたつの強国に頭を下げることで生きてきたのです。
 やがて黒船が来航し、アジアが欧米の脅威にさらされるようになった幕末。このような小国が生き残ることは、おそらく不可能であったでしょう。争いを嫌い、武器を持たない彼らに戦うすべはなく、日本への併合はやむを得ない道であったのでしょう。
 この物語は、そんな琉球国と直接の交渉にあたった松田道之が書き残した『琉球処分』をもとに書かれた小説です。
 明治5年、琉球藩設置。明治12年に沖縄県が生まれるまでの、長い交渉が始まりました。日本が求め、琉球が阻止し続けたのが、清への進貢の禁止と藩王尚泰の上京でした。
 松田は琉球の人々を「頑固で蒙昧」と言います。しかしその国民性こそ愛されるべき特徴だと思いました。長年の恩義がある清を裏切ることはできないと言い続ける琉球。日本に逆らえないとは知りながら、国内の反対意見をまとめることができず、反対する人々にも何ら方策があるわけではなく、ただ回答の期限を引き延ばすことしかできない三司官たち。「頑固党」と言われる人たちは、清の救援を信じてそれまでの時間稼ぎをしようとしますが、そもそもヨーロッパとの争いに疲弊している清に、琉球を守るだけの力はないのです。そんな情勢も知らず、いまだ清の強さを信じて疑わない人々。
 一部の若者は先を見据える目を持っていますが、目上の人に逆らってものを申すことはありません。藩王が日本への遵法を決断しても、今度はその遵法書が奪われる始末。「攘夷」を叫び、鹿児島商人の口車に乗せられて武器を購入しても、いざとなると戦うどころかみつからないよう武器を隠すことしかできない人々。
 最終的に松田は警察の力を使うことで琉球を従えました。それしかなかったと、頑固で蒙昧で、愛すべき琉球の人々の姿を見て思います。琉球人との直接の対話による交渉を続けてきた松田にとって、ぎりぎりの苦渋の決断であっただろうとも思います。武力をもってすれば、いつでも簡単に征服することはできたのですから。
 しかし、祖国を失った人々の無念ははかりしれません。だからこそ、私たち後世の人間は忘れてはいけないと思うのです。第二次世界大戦のさなか、沖縄が日本で唯一の地上戦の場となったことを。武器を持たない国に生まれた彼らに武器を持たせ、戦いを強いたことを。琉球王を頭に頂く人々の子孫に、「天皇陛下万歳」を叫ばせ死に至らしめたことを。沖縄の基地問題について語るには、必ずそれを知っておくべきことを。
 それを忘れず、沖縄へ行ってきます。

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「小説 日本婦道記」 山本周五郎
江戸時代の武家の女たちの人生を描いた、11の短編集。「私」を殺してひたすら良人と姑に仕えながら、それに喜びを見出す彼女たちの生きざまには頭が下がります。私自身の母の理想を思い出しました。


 母を思う。

 「婦道」とは、女の守るべき道のこと。江戸時代の武家の女たちの人生を描いた、11の短編集です。
 ここで描かれる女たちの「婦道」とは、ひたすら「私」を殺して家を守り、夫と姑に仕え、倹約をすることです。私にはとてもできない生き方です。見習うつもりもありません。そもそも私は武家の女ではありません。それでも、こういう女たちの生き様には頭が下がる思いがします。
 私の母が理想としていた「婦道」とは、おそらくこういう姿であったのだろうと思います。最初の「松の花」で語られる、佐藤右衛門の妻「やす女」。家族や家子、しもべの女房たちを深い悲しみに包みながら、病気で亡くなったやす女が遺したものは、着古して継をあてた木綿物の衣類ばかり。
 女が働くことを否定していた私の母も、ひたすら倹約に努める人でした。しかしこの作品の中で語られる女性たちとの大きな違いは、母がそんな生活にどこかいらいらとしていたのに対し、彼女たちはそんな生き方そのものに喜びを見出していることです。
 例えば「梅咲きぬ」の加代。歌を習い、才能を見出し、その道を極めることを夫も奨励しているにも関わらず、姑のかな女がそれに反対します。悩む加代に、かな女は言います。「妻が身命をうちこむのは、家をまもり良人につかえることだけです、そこから少しでも心をそらすことは、眼に見えずとも不貞をいだくことです」。
そう言われた加代は、仕方なく歌の道をあきらめるのではありません。むしろうきうきした調子で夫の直輝に、「わたくしもはは上さまのような、よい姑になりたい」と言うのです。
 「風鈴」の弥生もそう。早くに両親を亡くし、長女として婿養子をとって貧しいながらも実家を支えてきましたが、裕福な家に嫁いでぜいたくになる妹たちの姿に、いったん心が揺らぎます。しかし良人の生き様を知って最後は、これまでの自身の生き方の正しさを確信します。
 「不断草」の菊枝は、ある日から急に良人と姑にいじめられだし、理由もわからぬまま離縁され実家に戻ります。やがて主君を強要した罪で良人が退身したこと、離縁の理由がそれであったことを知ると、実家と絶縁し、名を隠して盲目の姑に仕える道を選びます。
 「藪の蔭」の弥生。良人となるべき人が、祝言の夜に大けがをして担ぎこまれると、家へ帰ろうという両親をふりきり、祝言をあげてはいなくても、この家の門をはいったからにはこの家の嫁、と良人と姑のそばに残ることを決心します。
 武家の妻であるとは、これほどの覚悟がいるということ。そしてそんな生き方に幸福を見出す女たち。こういう女性は、もう私たちの暮らす日本で失われたと言って良いでしょう。もはや「武家の妻」は存在しないのですから。そうして女性が自由になった今を、私たちは喜ぶべきでしょう。時代は逆戻りできないのですから。しかし、こうした女性を賞賛する気持ちは私たちの中に残っています。だから感動するのです。そしてそのことを、忘れてはいけないとも思います。
 私の母がいらいらしていたのは、そんな自分の生き様が、昭和・平成の時代に認められなかったからだと思います。夫からは「もっとましな服を着ろ」と怒られ、娘からは「お母さんのようになりたくない」と言われ。いらいらする母には、かけてあげるべき他の言葉があったのです。
 『小説日本婦道記』の女性たちには、彼女たちの生き方を認めて見守ってくれる、良人や姑がいました。「墨丸」のお石は自らを殺して生涯を独身で通しますが、夫婦になりたかったけれどなれなかった人との再会が、わかれて25年の月日を経て偶然にも訪れます。彼女が認められる日が、ようやくやってきました。「二十三年」のおかやには、23年後に。

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「紅はこべ」 オークシイ
グーテンベルク21
発売日 : 2016-01-15
政府に追われるフランス貴族を救うイギリス人、「紅はこべ」とはいったい誰か。それを追うショーブランと、兄を救うために英雄を売る絶世の美女マルグリート。つっこみどころ満載の、楽しい冒険活劇です。


 ご都合主義ではありますが。

 各地で映像化や舞台化がされ、日本では「宝塚」で有名な『紅はこべ』の原作小説です。もともと原作者が戯曲化して人気が出たようで、この作品は映画や舞台で視覚的に味わった方がより楽しいのでは、と感じました。
 時は、フランス革命後共和政府による恐怖政治が真っ只中の1792年。「貴族」というだけで罪とされ、政府によってギロチンに送られるフランス貴族たちを、「紅はこべ」という謎のイギリス人が救出し、次々とイギリスに亡命させます。後に残るのは≪紅はこべ≫という花の模様をつけた差出人不明の通知のみ。それを追うのはフランス共和政府の全権大使ショーブラン。そこに絡むヒロインが、フランスの元花形女優、今はイギリスきっての大富豪で皇太子の親友でもあるサー・パーシー・ブレイクニーの妻、マルグリート。まさに才色兼備のヒロイン中のヒロイン。他に「紅はこべ」の部下と、「紅はこべ」に救われた令嬢との恋など。
 という、非常に華やかでかっこいい舞台設定の作品です。だからこそ映像化や舞台化がふさわしいと思われるのです。「紅はこべ」には、モーリス・ルブランの「アルセーヌ・ルパン」を想像させるようなかっこよさがあります。いかにも女性作者が生み出しそうなかっこいい男です。
 「紅はこべ」は一体誰なのか。兄を救うため、「紅はこべ」をショーブランに売ることになったマルグリートの悲しい運命はいかに。見た目は良くても頭の弱い夫、ブレイクニーとの冷めた夫婦関係はどうなるのか。「紅はこべ」とショーブランとの対決の行方は。と、はらはらさせられながらも笑いをとる場面も豊富で、まさに涙あり、笑いありの冒険活劇です。
 とはいえ、ストーリー展開にはかなりご都合主義的な要素がたくさんあるのです。まず、「紅はこべ」の正体については、それを知らなかった私でもすぐに想像がついてしまいました。要するに人物設定が単純なのです。またストーリー上その正体がばれる場面でも、紅はこべの模様を彫った指輪が落ちているって、いくらなんでも、英雄「紅はこべ」ともあろう人が、なんてまぬけな。変装に関しても、ショーブランには見破られなくても、読者は見破ってしまえるのです。全くの別人に変装するのが、変装が得意な人の常ですから。
 こういうつっこみどころについては、小説より舞台の方がごまかせますよね。私たちも許せるというか。
 だからあえて、小説でも許して楽しむのがいいと思いました。つっこみどころ満載とはいえ、楽しい作品であることは間違いありません。シリーズ化したらよかったのに、と思ったら「訳者あとがき」で実際にシリーズ化されていることを知りました。
 フランス革命などの政治的な要素についてもあえて無視して楽しんだ方がいいと思います。物語をおもしろくするために、フランス革命を舞台として選択し、都合上敵味方を配しただけです。敵役のショーブランも、悪者というよりとっても楽しい人ですから。

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「雁」 森鴎外
高利貸しに囲われる妾の女と、医学生の男。2人が結ばれなかったのは、偶然が重なったからでしょうか。いえ、むしろそれが必然。飛び立つことのかなわなかった、紅雀と雁のように。


それが人生

 処女でない女は、嫁に行くこともできない時代でした。
 老いた飴屋の父親と2人で暮らすお玉。「婿入り」してきたと信じていた男が実は妻子持ちでした。女には何の罪もないのに関わらず、父に楽をさせてやるためには、金持ちの妾になるしかならなかった女。妾になるのにきちんとした見合いまでして、自分にも父にもそれぞれ家を与えられて、必ず毎日訪ねてくる「旦那」のやさしさに、それなりの幸せを見出すとは、女であるというだけで、なんと悲しい身分なのでしょう。そして旦那の末造が実は高利貸であると知ると、複雑な思いになってしまうとは。職業に対しての差別も激しかった時代でした。
 そんなお玉が恋した相手は、家の前を散歩する学生でした。岡田というその学生は、語り手と同じ下宿に住む医学生です。家からほとんど出ることのない囲われ者の女が、ただ窓からその姿を眺めるだけの仲。でもそれは、まぎれもない恋でした。
 2人の仲が進展するのは、お玉の飼う、末蔵からプレゼントされた紅雀が、蛇に襲われそうになっているところを、偶然通りかかった岡田が助けたときです。ただ会話をする機会を得たというだけのことにすぎないかもしれません。しかし女の思いはつのります。
 そしてお玉は決心します。旦那が用事で遠方へ出かけるとわかった日、女中に暇を出すのです。
 2人が結局結ばれなかったのには、様々な偶然が作用しました。
 語り手が岡田を散歩に誘い出したこと。2人が散歩の途中で雁を見る知人に出会ったしまったこと。雁を逃がそうと岡田が投げた石が、雁に当たってしまったこと…。
 その日お玉の家の前を通り過ぎた岡田は、ひとりきりではありませんでした。そして翌日には、ドイツへと旅立っていきました。
 様々な偶然が2人を阻んだともとれますが、私は鴎外の静謐な文体の中に、しょせん人生とはこんなもの、と言われているような何かを感じました。
 遠く飛び立つことのかなわなかった紅雀と雁。それがお玉の運命です。余程の偶然がなければ飛び立てないのが女です。余程の偶然がなければ、恋が叶うことはありません。であるからこそ、人と人とは、余程の偶然によって出会い、結ばれた縁なのです。

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「夏子の冒険」 三島由紀夫
角川グループパブリッシング
発売日 : 2009-03-25
それは20歳のお嬢様夏子の、熊と恋をめぐるひと夏の冒険の物語。まるで喜劇を観劇したかのような面白さ。三島由紀夫にこんな楽しくかわいらしい作品があったとは。


 熊と恋をめぐって

 三島由紀夫に、こんなに楽しくかわいらしい作品があったとは驚きです。
 それはまさに、お嬢様夏子のひと夏の冒険の物語。美人でお金持ちでわがままで、言い出したら聞かない20歳のお嬢様の冒険。その冒険とは、熊の退治、そして恋。それは初恋。
 とはいえ、夏子に男の影がそれまでなかったわけではありません。むしろ群がるように男たちはいました。なかったものは情熱。わがままなお嬢様の気持ちを十分に満足させるだけの、激しい情熱。
 そんな情熱のある男に、夏子はその夏出会ってしまったのです。男たちのあまりの情熱のなさにうんざりし、修道院へ入ることを決め、母と祖母と伯母と共に函館へ旅立った船上で。夏子はその男毅から、実に情熱的な話を聞かされます。彼はかつて北海道へ旅をしたとき、泊まったアイヌの家で出会った1人の少女の仇を討つために、四本指の熊を追いかけていたのです。秋子というその少女は、毅が三年後に結婚しようと決めて帰京した後、四本指の熊に襲われ命を落としました。
 「あたくしも連れて行って。仇討のお供をしたいの。」と、修道院行をとりやめて毅の後を追う夏子。足手まといになるからと逃げる毅。あの手この手を使って夏子をまこうとしても、絶対に追いつく夏子。やがて毅もそんな夏子に好意を抱き始め、仇討がすんだら結婚しようと思い定めます。
 突然姿を消した夏子を追う母たち3人のマダムがおかしいです。世間知らずでおばかなマダムたちの言動が随所に笑いを誘います。
 毅の友人で新聞記者の野口もおかしいです。ハゲの三枚目でどこかどんくさい野口は毅の引き立て役のようでいて、最後にはちゃっかり恋人を作っていたりします。
 新聞社や猟友会、アイヌの人々を巻き込んで、ついにはマダムたちも追いついて、ようやく迎える大団円。ついに毅と夏子が四本指の熊を仕留める瞬間のドタバタ劇。冒険は終わりのときを迎えます。夏子の夏は終わります。
 それはまるで、一本の芝居を見終えた後のような充実した面白さでした。もちろん喜劇です。『仮面の告白』や『金閣寺』などの有名な作品に代表されるような三島由紀夫らしさはみじんもないお芝居。三島由紀夫でなくても楽しめる作品かもしれません。ただ、三島由紀夫が書いたと思うからなおのこと、おもしろく感じるような気もしてなりません。


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