ちせ本の記録
私の好きな本を集め感想を書いていきます。純文学を中心にしますので、宿題やレポートの参考にもどうぞ。
「夏子の冒険」 三島由紀夫
角川グループパブリッシング
発売日 : 2009-03-25
それは20歳のお嬢様夏子の、熊と恋をめぐるひと夏の冒険の物語。まるで喜劇を観劇したかのような面白さ。三島由紀夫にこんな楽しくかわいらしい作品があったとは。


 熊と恋をめぐって

 三島由紀夫に、こんなに楽しくかわいらしい作品があったとは驚きです。
 それはまさに、お嬢様夏子のひと夏の冒険の物語。美人でお金持ちでわがままで、言い出したら聞かない20歳のお嬢様の冒険。その冒険とは、熊の退治、そして恋。それは初恋。
 とはいえ、夏子に男の影がそれまでなかったわけではありません。むしろ群がるように男たちはいました。なかったものは情熱。わがままなお嬢様の気持ちを十分に満足させるだけの、激しい情熱。
 そんな情熱のある男に、夏子はその夏出会ってしまったのです。男たちのあまりの情熱のなさにうんざりし、修道院へ入ることを決め、母と祖母と伯母と共に函館へ旅立った船上で。夏子はその男毅から、実に情熱的な話を聞かされます。彼はかつて北海道へ旅をしたとき、泊まったアイヌの家で出会った1人の少女の仇を討つために、四本指の熊を追いかけていたのです。秋子というその少女は、毅が三年後に結婚しようと決めて帰京した後、四本指の熊に襲われ命を落としました。
 「あたくしも連れて行って。仇討のお供をしたいの。」と、修道院行をとりやめて毅の後を追う夏子。足手まといになるからと逃げる毅。あの手この手を使って夏子をまこうとしても、絶対に追いつく夏子。やがて毅もそんな夏子に好意を抱き始め、仇討がすんだら結婚しようと思い定めます。
 突然姿を消した夏子を追う母たち3人のマダムがおかしいです。世間知らずでおばかなマダムたちの言動が随所に笑いを誘います。
 毅の友人で新聞記者の野口もおかしいです。ハゲの三枚目でどこかどんくさい野口は毅の引き立て役のようでいて、最後にはちゃっかり恋人を作っていたりします。
 新聞社や猟友会、アイヌの人々を巻き込んで、ついにはマダムたちも追いついて、ようやく迎える大団円。ついに毅と夏子が四本指の熊を仕留める瞬間のドタバタ劇。冒険は終わりのときを迎えます。夏子の夏は終わります。
 それはまるで、一本の芝居を見終えた後のような充実した面白さでした。もちろん喜劇です。『仮面の告白』や『金閣寺』などの有名な作品に代表されるような三島由紀夫らしさはみじんもないお芝居。三島由紀夫でなくても楽しめる作品かもしれません。ただ、三島由紀夫が書いたと思うからなおのこと、おもしろく感じるような気もしてなりません。


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「ダーバビル家のテス」 ハーディ
数々の不幸な偶然により、不幸のどん底に突き落とされるヒロインのテス。あまりに残酷な作者の仕打ち。でもそこに見出せたわずかな救い。読者である私が求めたのはひたすらその「救い」だけでした。


 偶然の悲劇

 この作品を初めて読んだのは20代。テスのあまりに救いようのない不幸な運命に、作者はなぜここまで残酷な仕打ちをヒロインに与えるのかと、苦しくなったほどでした。しかし今回テスの人生に救いを見出すことができたのは、私自身が変わったからでしょうか。あるいは、悲惨な結末が待っていることを知っているからこそ、わずかな救いだけでもと求めて読み進めたからでしょうか。
 訳者は解説で、テスの不幸を「福音主義の非人間的なおきてに対する作者の暗黙の批判」としています。それは事実かもしれませんが、福音主義にくわしくない読者としては、ひたすらテスの幸せ、せめてもの救いを望むばかりでした。
 テスは貧しい農民の娘。両親は善良ではありますが勤勉ではなく、テスがその美貌を武器に、玉の輿に乗ってくれる偶然を夢想しているような人たちです。
 テスの不幸の始まりは、教区の司祭がテスの父に、おまえはダーバビル家という古い騎士の直系の子孫だと告げたことでした。この事実が勤勉でない両親を有頂天にさせ、テスは母の願いにより、ダーバビルの名をお金で買った金持ちの家に奉公に出ることになります。そして、放蕩息子のアレクに処女を奪われます。
 不幸を導くもうひとつの偶然は、テスがダーバビル家へ奉公に出る前、つまりはまだ処女だった頃、後に夫となるエンジェルに、ほんの束の間会っていたことです。村の祭りで他の若い娘たちと共に踊るテス。そこに集まる男たちの中に、兄と共に旅行中のエンジェルが居合わせました。お互い気になりながらも、共に踊る偶然に出くわさなかった2人。このときエンジェルがテスを踊りに誘うことができていれば、2人はそこで恋に落ちていたかもしれません。テスは処女でした。そして裕福な司祭の息子との結婚を、テスの両親も喜んだことでしょう。
 テスとエンジェルが再会して恋に落ちたのは、テスが村を離れて乳しぼりとして働いた酪農場でした。父に逆らって牧師になるのを拒んだエンジェルが、農場主となることをめざしてここに実習に来ていたのです。
 親切な農場主と気のいい仲間たちに囲まれて、テスにとっては幸せな日々でした。むしろエンジェルに出会わなかった方が、彼女はここでいつまでも、自立した穏やかな生活を送ることができたかもしれません。彼との偶然の出会いが不幸を招きました。エンジェルが結婚を望んだために。
 エンジェルのプロポーズを幾度も拒み、過去を告白しようとするテス。しかし恋に夢中のエンジェルは、彼女のイエスの返事だけをせかして聞く耳を持ちません。彼女もまた彼との幸せに溺れ、ついにそれを受け入れてしまいます。告白する勇気と機会を得たのは結婚をしてしまってからでした。
 テスが処女ではないと知ることで、彼女を受け入れられなくなったエンジェル。彼の悲しみもわからないではなく、彼もまた不幸だとは思いますが、その後彼と別れてテスがなめた辛酸を思うと、男の度量の小ささにどうしようもなく腹が立ちます。お金が足りなくなったらエンジェルの父に無心しろといいますが、そんなことができる彼女ではないと、愛しているならなぜわからないのでしょう。
 テスはまた1人で働く道を選びます。以前の酪農場よりもはるかに過酷な環境で。そしてそこで、アレクと再会するという不幸な偶然に出会ってしまいます。やがて父を亡くした彼女は、さらに貧しくなって行き場をなくした母と妹弟たちのため、ついにはアレクの求愛を受け入れます。
 読者として望んだのは、ただひたすらエンジェルと再会することだけでした。そしてエンジェルにもう一度だけ愛してもらえること。たとえ束の間であったとしても。それができなければエンジェルこそアレク以上の最低の男です。
 電話のないもどかしさを思いました。思いを届けるのはすべて手紙。それが遠くブラジルにいるエンジェルに届くまでにどれほどの時間がかかることか。またエンジェルが帰国しても、テスの居場所をどうやってつきとめるのか。
 でも、2人は私の望み通り再会しました。テスがアレクと暮らし始めた後で。そして、2人は再び愛し合いました。テスがアレクを殺した後で。テスがつかまるまでのほんの数日。夫婦としての幸せを見出した日々。それが、救いでした。

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「源頼朝(1)〜(3)」 山岡荘八
平清盛が救ったわずか14歳の少年が、後に平家を滅ぼすことになり、武家社会の礎を築くことになろうとは。木曽義仲討死までの、源頼朝の生涯が描かれます。


 義経は伝説であり頼朝は歴史である。
 
 「歴史」に「もしも」という仮定はありえません。しかし私にとって源頼朝ほど、その「もしも」を考えずにおけない歴史上の人物はいません。平治の乱に破れた折、頼朝はわずか14歳でした。平清盛の継母の慈悲により命を助けられた、敵の温情によってしか生きる術のない少年にすぎませんでした。清盛も、彼を生かすことが、馬上での居眠りにより父や兄とはぐれてしまうほど幼い少年を生かすことが、後々自分にとってあれほどの脅威になろうとは、また、その後700年にもわたる武家政治の礎を築くことになろうとは、思いもかけなかったにちがいありません。作者は頼朝が「生きる」ことになった数々の偶然について、「人の生死だけは、人の手の及ぶところと、及ばぬ不思議の錯綜した、ある神秘さを含んでいる。」という印象的な言葉で表現しています。
 この作品の特徴は、木曾義仲が討死したところで、突然のように終わっていることです。本来ならこの後は、源義経による平家追討へと物語はうつっていくところなのでしょうが、作者は「いろいろな作家の手に依って主人公を義経にした小説が数多く創作されているから。」という理由で筆を置いています。そして「判官びいき」への非難ともとれる口調で、頼朝と義経の確執について作者の歴史的な見解を簡単に述べています。
 頼朝の全貌を描くのであれば、やはりこの後の展開についても、義経を追討せざるを得なくなった頼朝の思いについても、小説の中で詳しく描くべきであったでしょう。
 しかし私は、小説の中ではなく、「跋」という場を借りて作者が自身の言葉で語ろうとした思いがわかるような気がします。こういう形でなければ、頼朝を援護しようとする作者の思いは通じなかったかもしれません。それほどまでに義経は、長い歳月を経て伝説の中で誇張され、大きくなりすぎています。一方頼朝は、真に歴史に名を残した政治家でした。
 ここで筆を置いたかわりに、作品の中で大きくページをさいて描かれているのが、平治の乱の敗戦で落ちていく源家の運命と、頼朝の20年にもわたる伊豆での長い流人としての生活です。源氏再興の夢と平氏の警戒を、生き残った源氏の嫡子としてその双肩に背負うには、14歳という年齢はあまりに若すぎます。そして、志を胸の奥の奥にしまいこみ、ひたすら流人として送る20年という忍従の日々は、あまりに長すぎます。その日々を、読者も頼朝と共に耐えたからこそ、ついに伊豆で挙兵が成ったときには深い感動を覚えるのです。
 そして、頼朝が信頼をおけるのも、頼朝を理解しているのも、顔も知らない弟よりも、妻政子の実家である北条氏を始めとして、最初の挙兵に加わり、伊豆でのつらい忍従の日々を知っている武士たちだと、心から思えるのです。

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「古事記」 倉野憲司校注
日本誕生の神話が綴られる、わが国最古の歴史書。「天の下治らしめす」すめらみことたちの系譜が丹念に記されています。


 すめらみことの系譜

 奈良時代に成立した、わが国最古の歴史書です。天地開闢とイザナギとイザナミによる国生みに始まり、推古天皇の時代までの出来事が、天皇の系譜を中心に記載されています。
 上巻はまさに西洋における旧約聖書のように、わが国の成り立ちが描かれます。それは史実ではなく神話に違いありませんが、科学的に地球の誕生が証明されるずっと以前に、史実として語られた素朴な神話を、事実として信じるのも悪くはない、と感じました。これが私たちの生まれた国「日本」なのだと。
 中巻、下巻では神武天皇からの天皇の歴史が時系列でつづられていきますが、中巻ではまだまだ神話的な要素が多分にあります。なにしろ100年以上生きて世を治める天皇が何人もいるわけですから。少ない資料を頼りに「古事記」を編纂した編集者たちの、つじつま合わせの苦労が垣間見えるような気がします。
 垂仁天皇時代の「沙本毘古王の反乱」あたりから、歴史のドラマを感じさせる場面が増えてきます。夫と兄の間にはさまれる沙本毘賣の悲劇。その後も身内による裏切りや反乱は相次ぎます。倭建命の活躍や、神宮皇后の新羅征討を描いたシーンも。女たちの嫉妬もなかなかすさまじいものがあります。現代の書物が描く人物たちよりも、感情はずっと素朴で単純で、神様の子孫たちはなかなか人間的です。読む方も大変素朴で原始的な感動を覚えます。
 事件の起こらない時代ももちろんありますが、すべての天皇について、その妻子たちの名だけは連綿とつづられます。歴史というのは、まさに天皇によって作られ、天皇によって受け継がれてきたのだと言うことを、しみじみと感じさせられます。今の世にあっても、天皇のいない日本をどうも想像できないのは、これだけの果てしない歴史が、当たり前のように私たち日本人の心に刻み込まれているからなのかもしれません。
 「古事記」を読むと、一部の有識者が男系天皇にこだわる気持ちも、なるほどという気になります。ただ、やはり時代は違うと言うことも認識させられるのです。何しろ今や私たちは、テレビやネットを通じて、いつでも簡単に天皇の顔を見ることができるのですから。「天の下治らしめす」時代に比べ、天皇ははるかに身近な存在ですから。でも、不思議と敬う気持ちになれるのは、この『古事記』に書かれてある通り、その祖先が私たちの国を造ってくれたからなのかもしれません。

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「塩の街」 有川浩
著者 : 有川浩
角川書店(角川グループパブリッシング)
発売日 : 2010-01-23
塩害により滅びゆく世界。命を賭けて世界を救おうとするのは、生き残った自衛官たち。なんていうよりも、滅びるかもしれない世界の中で育まれる、愛のエピソードをちりばめたお話です。


 要するに、愛。

 「Scene-1」を読み終えて、思わずもれた言葉は「美しい」でした。「悲しい」ではなく。
 塩害によりもはや国としての機能さえ失いかけている日本。塩化した恋人の遺体をリュックにつめて、ひたすら歩く1人の男。彼女を埋葬し、自らも共に死ぬのにふさわしい、きれいな海を求めて。彼女と2人、海でひとつに溶け合うために。
 塩害により滅びゆく日本で、こんな美しいエピソードばかりを集めた短編集なのかと思いました。塩害が何かなんてどうでもいい、と。残念ながらそんな作品ではありませんでした。読者はやはり知らなければならなかったのです。なぜこんなことになってしまったのかを。そしてやはり、世界は救われなければなりませんでした。
 ある日突然、巨大な塩の結晶が東京湾に落下。以来、人が次々と、塩になって死んでいくという現象が起きる。政府は壊滅状態。交通機関も止まり、食物は配給制に。そんな日本を、生き残った自衛官たちが救う。時に残酷で汚い手を使ってでも、生命を賭して…。
 といったところで、そんなハードボイルドな作品でもないのです。結局は「Scene-1」を彷彿とさせるような、美しくて心温まる、愛にあふれた作品です。
 世界を救ったのは自衛官の秋庭。ひょんなことから助けるはめになった高校生の真奈がそばにいて。いつ誰が、突然に塩化して死に至るかもわからない世界の中で育まれる愛情。男が命をかけたのは世界を救うためではなく、ただ彼女1人を救うため。彼女を失うのが怖かったから。
 甘っちょろすぎて恥ずかしいくらいですが、そういうものかもしれません。人が本当に滅びる瞬間、人は結局自分のことしか考えないのかもしれません。世界のためとか人類のためとかいうのは、理想というよりはむしろ妄想。最期と思ったその瞬間に頭に浮かんだ人こそが、本当に愛する人。自分の命とも言える人。そう考えさせられるエピソードが、秋庭と真奈を中心に、他にもいろいろとちりばめられています。
 でもそれは決して大げさなものではなくて、こんな極限の状況にあってもいたってシンプルに、甘く、そして温かく。夫婦の愛、親子の愛、恋愛、友情。世界が滅びるかもしれないときにも、日常的にそんなものは育まれているものなのです。
 要するに、「愛」ってことですよねっ、と。
 さて私の夫は、その最期のときに、誰よりも先に私のことを考えてくれるでしょうか。

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